When You Wish upon a Star

星に願いを

“伝える”ということ。

 

まだ帯を持つ全然前の、まだ報道番組に携わって3年目の頃、2012年の小山くんの1万2千字インタビュー。

個人的な目的でしかないんだけど。起こしたかったから(笑)

キャスターに関しての話のみでNEWSについての話は割愛してます( ´•ω•`)

 

 

出典:2012年夏+act

 

 

 

 

 

今回の特別企画は、NEWS小山慶一郎の“キャスターの顔”と“アイドルとしての顔”、ふたつの側面における“伝えるとは何か?”について知りたい、そんな想いからスタートした。2010年から続ける、報道の仕事。この2年間の取り組みはいかなるものであったのか、現在いかなる想いで臨んでいるのか…こちらの編集意図を深く理解し、本当に真摯に偽りなく話してくれている。そして、“昨年”がどんなに大きな1年だったか、についても。あの未曾有の震災をうけ、彼はキャスターとしての使命を胸に、実際に自分の目で見、感じることを伝えたいと、何度も何度も被災地を訪れている。そして、その活動を続けていた昨年後半は、NEWSとしても大きな変化を受け入れた時期でもあった。報道の現場の人間としても、ひとりのアイドルとしても、深くつらい葛藤があった1年だったことだろう。もちろん、被災されたみなさんと同じ苦しみや問題があったと言えるものではない。しかし、そこには、“諦める訳にはいかない”という共通した想いがあった。キャスターとして、NEWSの小山慶一郎として、強い想いが重なった。被災地の現状を伝えること、そして被災地のファンのためにも絶対に前を向く…そんな“自分が今ここに居る意味”をもらった、と話してくれている。とても意味深い、重要な言葉だと思う。これは他人が簡単に語っていいことではない。実際に、小山本人が真摯に懸命に語ってくれた言葉を、なるべくそのままお伝えしたいと思う。

 

 

『news every』での活動、NEWSとしての活動、ファンへの想いなど…幅広く“伝えること”についてお聞きする、1万2000字インタビューとなります。

 

よっしゃ(笑)。わかりました。よろしくお願いします!

 

2010年からevery.の水曜キャスターを務められていますね。

 

そうですね。最初にお話を頂いた時は、まず信じられなくて。『えっ、報道番組ですか?』と。もちろん櫻井さんの活動は見ていたし、そのレールって、やっぱり櫻井さんが作ったものだし。なんで俺?って思いました。でも、櫻井さんを(NEWS ZEROに)選んだプロデューサーさんがいらっしゃって。その方が、僕のことを選んで下さったんですけど。僕らが出演させて頂いた24時間テレビを見て、僕が手話を覚えて、聾の子達とコミュニケーション取っているのを見て『君なら出来るんじゃないかと思ったんだ』って…直接、言って下さって。そうやって、僕がどこかで頑張ってることが繋がったのが嬉しかったですし、光栄だなと思って。

 

そうしてキャスターとしての活動が始まったんですね。

 

でもやっぱり、この2年は悩むこともありましたよ。伝える意味、伝え方…じゃあ“伝える”ってなんだ?と思って。やっぱり最初はキャスターって多分こういう風にやるんだろうなっていう型があって、そこに自分を当てはめて行く感じだったから…自分の手応えがないというか。自分が“フィルター”になってない、自分を通して伝えられていないっていう感覚が感覚が凄くあったんですよね。それから色んな方の報道番組を見たり…それで、ある時気づいたのは、やっぱり“現場”に行ってるのは僕だし、僕の目で見てる訳だから、ほかのキャスターさんでも出来ることをぼくがやっても意味無いんじゃないかって。じゃあ、僕がやる意味ってなんだろう?って考えた時、自分の見てきた情報とか想いを自分の言葉で視聴者の方に伝えることが僕の“特徴”になるだろうって…そう気づいた時は、もう1年以上経ってましたね。

 

やっぱり、試行錯誤もされたでしょうね。

 

そうですね。でも僕は毎週現場に行っているし、現場で得て来た情報に嘘はないし。本当に2年間、毎週行ってるから…現場に行く意味としてのも最近わかってきた。やっぱりカメラが回ってないところで、素の言葉を言ってくれたりするんですよ。本当は回ってる時に、それを聞き出さなきゃいけないのかもしれないけど。僕は一般の方に取材に行くから、カメラが回るとやっぱり構えるだろうし…その取材の仕方っていうのも、凄く…2年経って変わりましたね。

 

元々、報道や時事問題に興味はあったんですか?

 

もちろん。大学にも行きましたしね。まず、韓国のことに興味があって。そのきっかけとしては、当時草彅くんが“チョナン・カン”で韓国に行った時、僕はバックダンサーでつかせてもらって。韓国で草彅くんは韓国語でテレビに出るし、韓国語で接してるし…で、ビックリしたのが、向こうのファンの人がみんな日本語で手紙をくれて、日本語で応援してくれてるんですよ。その時に、俺は今のままじゃダメだと思ったんですよね。向こうの人達がこんなに日本のことをよく知ってくれてるのに、俺は韓国のことを何も知らない。そう思ったのがきっかけで、大学でアジア史を専攻するんですけど。バックグラウンドを知りたいなつまていう意識がどこかにあって。だけど、将来自分がキャスターという立場で仕事を頂くとは思ってなかったので、その当時は韓国に(興味が)特化してたけど、やっぱり今は色んな現場を見て…政治も経済も。例えば電化製品の何が安い?だったり、野菜の価格動向だったり、◯◯セールみたいなものも、全部(取材に)行きますからね。そうすると、今まで知らなかったことがたくさんあったことにも気づく。1個取材に行けば、自分の引き出しも1個増えるって感覚なんですけど。俺は今、野菜の値段を言えるし、大穴子がどこで穫れるかもわかるし。そういうことで、ちょっとずつ知識が増えていくと、自分の厚みを作ってもらってふさるというか…俺、ホントこのまま30歳にならなくてよかったなと思って。キャスターの仕事をやってないで30歳になってたら、自分の中身が薄かったかもしれないですね。だからキャスターの時は、毎回インストール、毎回アップデート…な感じです、本当に。

 

自分の周りにあるものは全て“ニュース”なんだなって、身をもって知るんでしょうね。

 

そうです。だから本当に興味が増えますね。人に興味がある。僕、報道の時は取材側の立場になるから。じゃあ、どうしたら取材対象の方々は話してくれるのか?ということを考えていくし、その取材の1日の間に、その人の人生を振り返ってもらって、今後の目標まで聞き切らなきゃいけない訳じゃないですか。ひとつの人生のドラマを1日の限られた時間で取材するって…相当話さなきゃいけないし。だから毎回本気ですね。

 

水曜へ向けての準備や取材。その1週間の流れというのはどんなものなんですか?

 

水曜日に、自分の『気になる!』というコーナーがあって。まず、そこを背負うために、金土か土日のどちらかにロケに行ってるんですよ。1泊2日で。プロデューサーさんやディレクターさんと、今何が気になるのか?を話し合ってネタを決めて取材に行くんですけど。その現場にはマネージャーさんが同行しないんです。

 

ひとりでそのロケに臨んでいるんですか?

 

はい。報道って技術さんがいるじゃないですか。カメラマンさんと音声さん、ディレクターさんとADさん。いつも5人で取材に行ってるんです。そこで思ったのが、僕の目線ってカメラマンさんが撮るレンズの中だから。そこで僕とカメラマンさんの意思疎通がとれてなければ、僕が伝えたい映像…僕がここを撮ってほしいっていうことが伝わらないじゃないですか。だから、そこのコミュニケーションにもう1段階入っちゃうのがもったいないと思って。

 

マネージャーさんを介さず、直接カメラマンさんとやり取りを。

 

そう。直接、僕が『こう思うんです』っていうこととか、これはイイ、これは嫌だっていうことも話すし。今、2年経って、『気になる!』も100回を迎えたんですけど。だからこそ言えるようになったというか…もちろん最初は何もわからなかったし、言われることをやっていた。でも100回もやると、カメラマンさんとも相当仲良くなれるんですよ、やっぱり。『あ、小山、最近わかるようになってきたな』っていう風に言ってもらったり。そういう意思疎通をとりながら、水曜日に向けて、2日間はロケをやって。で、当日は『デイリー取材』っていうのがあるんですね。それは水曜の生放送の前に、朝から生放送ギリギリまでロケに行って。その日に起きてること…その日の電化製品の価格とか、今日の温度とかっていうのを取材する。それを背負って、そのまま生放送に出る。だから水曜日丸々1日と、週末の2日。つまり3日間ですね。だから僕、名刺作ってもらったんです。取材に行った先の人が僕のことを知らないし、そのお伺いをたてる時に名刺がほしくて。だから、名刺交換の仕方とかも初めて知るわけですよ(笑)。やっぱりそういう社会人としての基礎知識っていうのがなかったんだなぁと痛感しました。それも、僕はダメだなと思って。やっぱり特殊な世界にいると、特殊なことで成立することがたくさんあり過ぎて…これじゃダメだなと思って。だから今、『every.』に行く度に本当に自分の無知さに気づけるっていうのがある。やっぱり、そこでは事務所の人間ではなくて、“キャスター”として見てもらっていると思うので。より勉強したい、知識を得たいっていう気持ちが強いです。

 

すごく冷静に自身の立場を見ているんですね。

 

でも逆に、ジャニーズ事務所で良かったという時もあるんですよ。僕、去年1年、被災地に行き続けたけど、そうするとやっぱり『NEWSの曲で励まされました』とか『NEWSのこのCDだけ持って逃げたんです』とか…そういうのを聞くと、NEWSだから、ジャニーズ事務所だから励ますことができたんだと思う。と同時に、僕はキャスターをやってたからこそ、この避難所に来れている、みなさんに話を聞くことが出来ている。だから、やっぱり全てが重なって、自分が今置かれている環境のありがたさ、恵まれているなと気づけたんです。

 

小山くんは、もう何十回も被災地を訪れているんですよね。

 

はい。僕、多分…全国のキャスターの中で一番行ってると思う。

 

そうだと思いますよ、この数は。

 

だと思います。でも、行けばいいっていうものじゃなくて。行って何を思うか?であり、何を思って何を伝えるのか?だと思う。去年1年行き続けたけど、俺は10年行き続けなきゃ行けないと思ってるし、10年じゃ足りないのかもしれない。報道の現場にいて一番わかるのは、去年に比べて東日本大震災の内容を扱う時間っていうのが本当に少なくなっているし、それは仕方ないっていうのはわかるんです。でも、それを…寂しい、悲しいって思う人達がいる訳じゃないですか。やっぱり、その人達のことを伝えていくべきだと思うから。僕はこれからも『every.』をやっている以上は通い続けると思うし、もし終わっても…僕はもう被災地に知り合いもたくさん出来たから。避難所のリーダーさんとかも『おっ、小山また来たか!』とか、仮設住宅の食堂とかでも『ご飯食べにおいで!』とかね(笑)。で、僕はちょうど去年、NEWSが一番つらかった時期に被災地へ行っていたんですよ。その時に“俺、何を悩んでいるんだろう”って。自分的には…NEWSのことで一番人生のどん底にいたと思ってたんです。あぁ、俺はもう無理だ。これからの人生どうやっていけばいいんだろう?って。でも被災地に行った時…そんな状況と比べてはいけないような現実の中でみなさんは生活しているし、その上で『NEWS待ってます』とか『ライブやってください』とか仰ってくれて…

 

胸に響きますね。

 

うん。NEWSは今はこうなってるけど、這いつくばってでも残すことに意味があるって…被災地に行って気づかされたというか。逆に被災地の方々に励まされてしまって…。それが、僕が今ここに居させてもらってる、ひとつ、原動力になっていますね。

 

色んな想いがリンクして重なって…今ここに居る力になっているんですね。

 

そう。リンクしちゃ申し訳ないんだけど、比べてもいけないけど、どうしてもリンクしちゃって…僕は絶対に、ここで負けちゃいけないって思ったんです。で、絶対4人になっても、新しいCDをこの人達に聴かせたいって思ったし…だから、次に行く時には『チャンカパーナ』を持って行きたい。聴いてほしいから。

 

(略)

(2人が抜けた話。3人に対する想い。ソロStarryについて。などなど。少し逸れるから割愛)

 

 

その中で、被災地に通い続けたことが大きな気づきに繋がった…『every.』やっててよかったっていうのも思ったでしょうね。

 

うん。軸として水曜日へ向けて、何か自分を必要としてくれるお仕事があるっていうことにも感謝ですよね。(略)

 

こうして今回の小山くんの言葉で、これまでのこと、これからのことを話してもらうと、やっぱりNEWSのことが“伝わって”いくし、“伝え手”としての想いや言葉を、今後も大事にしていってほしいなと思います。

 

(略)

 

 

 

まだ2年しか経っていない頃だし、帯持つ前だし、今とは全然違うかもしれないけど、きっと原点ではあると思うから。今年の24の原点かもしれないしってことで個人的に!あくまでも個人的に上げておきます

 

 

本当はにーよんの日にあげたかったんだけどね、それどころじゃなくて忘れてたよね←

 

 

 

小山くんにーよんお疲れ様〜!(遅)

 

 

小山くんにとっての“伝える”は“覚悟”

小山くん自身がその“覚悟”をしたのが、大震災なんだろうな。だから被災地には人知れず想いがあるし、どうしても弱くなってしまうね。不覚にもあの涙を可愛いと思ってしまったけど、それは小山くんの涙が綺麗だからだよ。これからもその時の“覚悟”を忘れずに、たくさんの事を伝えていってね。

 

2年連続で大役を任せてもらえる小山くんの積み重ねが姿勢が誇りです。

また大きなお仕事が来ますように。